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江戸300藩と城や歴史のブログ
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岩富藩
2025年4月3日木曜日
下総国
江戸300藩
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# 岩富藩 ## 概要 - 成立年:1590年 - 成立時石高:1万石 - 廃藩:1613年:転封 - 藩庁:岩富城 ## 歴代藩主 ### 北条家 - 前:相模国玉縄城主 |名前|藩主在任期間|石高| |--|--|--| |北条氏勝|1590-1611|1| |北条氏重|1611-1613|1| - 次 下野富田へ転封 ## 藩史 ### 前史 岩富藩初代藩主北条氏勝は後北条氏の一門です。 小田原城の重要拠点である玉縄城主北条氏繁の子として生まれ、1590年の小田原の役時点で玉縄城主の地位にありました。 豊臣方の侵攻に際して、山中城防衛の任に当たりますが城は激戦ながらも短時間で落とされてしまいます。居城玉縄城へ落ち延びた氏勝は、居城を死守するつもりで小田原城へ赴かずに籠城したため、小田原の北条氏政より疑念を抱かれる結果となったため玉縄城を開城して降伏、豊臣方の案内役として動きます。 そして戦後は関東へ移封された徳川家康より岩富1万石を与えられます。 ### 立藩、後継問題と廃藩 岩富へ移った後、氏勝は1600年の関ヶ原の合戦では岡崎城や犬山城といった後方防衛の任に就いています。 1611年、氏勝は没します。氏勝は嫡男の氏明が早逝していて、弟の繁広と保科家から迎えた氏重の二人を養子としていました。繁広が血筋としては正当と言えるものの、氏重の生母が家康の異父妹という事で後継者に選ばれた様です。 選ばれなかった繁広は納得せず江戸へ訴え出るも直後に没しています。原因は病没、憤死、暗殺など諸説あるようです。 しかし繁広の子である氏長は家康に取り立てられ旗本になり、軍学や測量を学んだ事から軍学者、地図製作者として活躍しています。 一方氏重は家督を継いだ後、小田原城城番の任に就きますがその直後下野国富田へ移封となり、岩富藩は廃藩となりました。
岩富城本丸跡入口
## 藩庁:岩富城 - 所在地:
千葉県佐倉市岩富
岩富城は1467年に千葉一門原氏の原景弘によって築かれたとされています。 その後景弘の子景行らが城主を継ぎ、弥富原氏と呼ばれる一族が代々居城とし、千葉氏の本拠である本佐倉城の支城として用いられていた様ですが、1590年に千葉氏は北条方であったため豊臣方の攻撃を受けます。 当城も氏勝に案内された豊臣方浅野軍らに攻められて落城。原氏は千葉氏とともに没落します。 その後氏勝が入城し城下町などを整備した様ですが、1613年に氏重が移封された事で廃城となりました。
岩富城本丸跡
## 参考資料 - 三百藩藩主人名事典 第2巻 (新人物往来社) - 佐倉の歴史 (東洋書院) - 図説 房総の城郭 (国書刊行会) - 岩富城跡現地説明板
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